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松井信也プロフィール

人生の決断/教室開校のきっかけ

私が社員教育を通して、なぜ子ども向け教室を開設したいと思ったかですが、 学業の優秀な新入社員が配属されてきても人間性により大きな差を感じたからです。

どんな育ち方をしてきたのか、どんな判断をしてきたのか、どんな人と交わってきた のか仕事をすればわかります。

例えば勉強をやらされて点数との戦いをしてきたか、 自分で興味を持てる方法を考えて苦しい中にも楽しみを見出してきたかのか。

それは仕事を頼めば反応で一目瞭然でした。

でも仕事としては、指示もしくは助けもしますが、やはり横にいないと結果が出ないのです。

自主性と言ってしまえば簡単なことですが、大人になってからの意識改革は大変なんですね。 

そんなことを考えている頃、出会ったのがメディスンスクール「イメージトレーニング」だったんです。

尾崎里美先生率いるお笑い心理学では難しい心理学の内容も笑いながら身につく。

すぐに 実践できるシステムであることを体験されたコンサルの先生に教えてもらった のがきっかけでした。

これが考えていることの答えではないかと一念発起し、茨城県から淡路島に通いイメージトレーナーの資格を認定してもらいました。

これから、幼いお子様と親ごさまの、お役に立ちたいと思いワクワクしています。 

松井信也の生い立ち 「私ってついているんです 」

昭和32年218日に神戸市葺合区で生まれ。 

父は公務員、母は生け花の先生でした。 長男の末っ子です。

幼児期には少し変わっていたようで、ある夏の暑い日にどうしても泳ぎに行きたくて仕方なかった。

夏休みに家 族で海に遊びに行った嬉しさが忘れられずにいたのです。

そこで思いついたのが、家の中でも水を撒いたら冷たくて 気持ちが良いのではないか?

畳の部屋に水をまき海で泳 いでいる気分になって遊んでいました。びっくりした母が怒 るのかと思えば「そんなに泳ぎたかったら今度海に連れて行ったげるから浮き輪なしで泳げるようになりなさいよ」でし た。

そんな環境の中で、ある意味自由に育ったのかもしれません。

少年時代は、姉に指示をするようなタイプでお兄ちゃんみたいやなと言われていました。

そのような評価の影響からか自分でも自然に周りに対して「○○であるべきだ」「なんでこんなこと出来へんねん」と嫌味なところも あったようです。

先日片づけをしていたら小学校卒業文集が出てきてびっくり。男の子からは思っていたようなコメントが並んでいたのですが、女の子 からは「松井君は口うるさい」「決めつけんといて欲しい」と書かれていました。

そう だったんだ!

そんな嫌われるところもありながら、こうするべきだの松井君は集団下校の先頭 役を任されます。

横断歩道で旗を持ってわたります。その瞬間記憶がなくなり気づけば病院でした。なんとバスを追い越したバイクに次の横断歩道まで引きずられて体はボロボロでした。

お医者さんからランドセルに「ありがとう!僕の命を守ってくれて。」と感謝しときや と言われました。そうなんです。

ランドセルがショックアブゾーバーの役目を果たしてくれたおかげで後頭部を打たずに済んだので命拾いをしたそうです。ついてるね~〜!

小学校中学校の頃に少し変わった子だなと自分で思ったの は、友達の家に遊びに行くとその家のにおいで家庭の様子 を想像して遊んでいました。そのころはマンションが建ちだ しきれいな家に遊びに行くと特に敏感に感じていました。でも話をしていると自分の勘があったているようでした。

そのころから家と家族に関して興味を持ち出し結果的に住宅営業を仕事に選びました。

また、尊敬する松下幸之助の松下 グループの会社だったのでウキウキして即決でした。 

住宅営業ではいろんなお客様と出会い本当にやりがいの ある仕事に巡り合ったと思います。

昭和55年にナショナル住宅建材株式会社に入社しました。

新入社員時代は京都営業所に配属で京都の南部地区の販売会社を担当。

営業の方と一緒に動きお困りご とを解決し信頼を得て楽しい思い出がいっぱいです。 

昭和60年に京都生まれの眞里子と結婚しました。 

昭和63年から滋賀県担当平成9年からは奈良県担当にな り、宅地開発の醍醐味や多雪地域での住宅の開発に係り 今までにない住宅への思いが育ちました。

奈良県の後半は 地域の責任者の立場で建設の関連業者さんや銀行、不動 産業者、同業他社、地元の人々と社員やお客様以外の方とのお付き合いで勉強になることが多かったです。 

平成19年から茨城県の販売会社の代表になり全く地縁関係のないところでありながら楽しくやりがいのある時間を過ごしました。

茨城は土地柄もあり人情が厚くとても暮らしや すい風土がありました。

リーマンショックにもめげず、東日 本大震災にも耐え、東日本大洪水ではすぐに後片付け訪問に行き社員と関連業者のおかげでお客様に喜んでいた だきました。 

ただ、奈良と茨城の責任者の時代に非常に強く感じたのが 子育てに悩む親御さんが増えていることでした。

社会に出るときに「家を通じて家族を幸せにする」と言う考えから住 宅会社に入社しましたが、退職後は「子育てを応援して家 族を幸せにする」ことを自分のテーマにしようと決断しまし た。

平成30年に、こんな思いでWithTogetherを開校しました。